贈り物

作 桐山さん

どこにでもあるような大学の学生食堂で柳隆司はゆっくりとした時間を過ごしていた。
もう昼食を取る時間を過ぎており、食堂の中にひとかげはまばらで昼時の喧騒がうそのようである。
隆司はこの時間がすきだった。何時もうるさい食堂でゆっくりと紅茶を飲みながらぼーっとしていることが。
本日の講義はすべて終了している。時間はまだ3時半を過ぎたところであり、帰るには少し早い。
何より隆司はこういった静かなところに居る事が好きであり、また待ち合わせがあった。
しかし、その約束の相手は既に三十分遅れている。
この後に用事は無いため、こうして待っているのだがすでに手に持っている缶紅茶は飲み干している。この状態でこれ以上まっているのも限界だろう。
そろそろでようか。
そう思い席を立ったところで、後ろから誰かが隆司の肩を叩いた。このようなことをするのは大学内では自分の待っていた相手以外には居ない。そう確信して振りかえると予想していた人が立っていた。
「遅いぞ、千音」
「仕方ないでしょ、授業の事で教授に質問していたんだから」
隆司の待ち人―麻生千音は悪びれた様子もなく、自分の遅れた理由を説明した。
「まあ、そうだけど連絡ぐらいいれてくれ。そうじゃないと無理やり持たされた携帯の意味が無い」
「そういえば、買ったんだったね。忘れてたよ」
笑顔で返してくる。隆司は相手に聞こえないような小さな溜息をついて食堂の出口に向かって歩き出した。その後を千音がついてくる。
途中、空き缶を捨てるためにごみ箱によった時に千音が声をかけた。
「でも、連絡もなしによく待ってたね。何時もならすぐに帰っちゃうのに」
「今日は特に用事がなかったからな。あそこでボーっとしてるのも悪くないと思っただけだ」
そう愛想なく答えバス停のほうに向かって歩き出す。
「じゃあ、この後暇なんだ」
千音が隆司の隣に並びどことなく今までより嬉しそうにいう。
「ああ」
「それじゃあ、久しぶりに『ETANAL TODAY』にいこうよ」

千音の言った『ETANAL TODAY』とは閑静な住宅街の一角にある小さな喫茶店だ。 ログハウスのような外見を持ち、その中はオーナーの趣味で数多くの観用植物とオルゴールが飾られており、独特の雰囲気を持っている。その雰囲気とおいしい紅茶を出す事で近所に知られていた。
「ここ何時来ても他のお客さん見かけないんだけど、売上あるのかな?」
店の前まで来て、いつものように空いている駐車場を見て千音が言う。
「この時間帯はだいたいすいてるんだよ。それに前に聞いたとき自分が食っていく分は稼いでるって言ってた」
隆司が千音の質問に答えながら、ドアを開ける。ドアを開ける拍子に呼び鈴が鳴り自分達が来店した事を店主に告げる。
「いらっしゃいませ」
店の主人、涼が隆司たちを出迎えた。店の中は、千音が言った通り他には居らず、涼が一人でカウンター席からこちらのほうを向いている。
「おや。久しぶり、隆司君」
「お久しぶりです。涼さん」
「最近こなかったけど、どうかしてたのかかい?」
「ええ、ちょっといろいろありまして」
隆司が涼に向かって挨拶する。隆司と千音はこの店には昔からよく来ていたが、最近は忙しく来ることが出来なかった。
涼はカウンターの奥に入り二人に出す水とお絞りの用意を始める。
その間に二人はいつも座る席に座っていた。
「何にする?」
隆司も千音この店の常連だけあって涼の対応も砕けたものだ。
「いつもの紅茶でお願いします」
「私も隆司の紅茶と同じものとあとレアチーズケーキお願いします」
わかったといい、涼がカウンターの奥で二人の注文の品を作り出す。
「ケーキ代は自分で払うんだよな?」
「奢りでしょ、隆司の」
「なぜ?」
「この前約束破ったからからそのお詫びに」
そういわれて、隆司は閉口する。確かに前回急なバイトで千音と出かけるという約束をすっぽかしてしまった。
「その理由はちゃんと説明しただろ」
「うん」
「それじゃあ別に」
「理由は聞いて納得したけど、それでも」
「いいじゃないか。彼女におごることぐらい」
無茶な相手の理由を聞き、それに対して反論しようとした隆司の出鼻をくじくように涼が湯を沸かしながらいう。二人はカウンター席に座っているために会話は涼にも良く聞こえる。
「今回だけだぞ」
隆司は渋々千音の要求をのんだ。千音だけならともかく、涼を相手にして勝てる見込みがないことはよく知っている。それに、最近こちらのわがままで約束を違えているのも事実だ。
千音は満足そうにうなずくとカウンター越しに涼と何やら話している。隆司にとっては対して興味のある話題ではないので聞き流しながら店内を見まわした。
店内はいつもとほとんど変わらなかった。たくさんある観葉植物に空いているテーブル席。そしていくつもあるオルゴール。アンティーク調の大型のディスクオルゴールもあるがそれらはほとんどものがレプリカだと隆司は聞いている。それに、大半のオルゴールは小さなシリンダーオルゴールで、涼やこの店のオーナーが気に入った曲をアレンジした自作のものが多い。
店内は別段変わった様子もなく、目線を戻そうと思ったときに、先程涼が座っていた席に一つのオルゴールが置いてあることに気づいた。
隆司はなんとなく、それを手にとって見た
外見の特徴はなくほかの自作のオルゴールとほとんど変わるところはない。ほかのオルゴールとの見分け方を知っているのは作った本人だけだ。
「なに、それ?」
千音がこちらの様子に気付いて聞いてくる。
「いや、そこにおいてあったのだ。これ」
「さっきまで俺が聞いてたやつだな」
涼がティーポットと砂時計とを置きながら言う。
「客がいなかったから、大きいのを止めて聞いてたんだ」
「そういえば、今日オルゴールがかかってませんよね」
普段、店内ではクラシック音楽をディスクオルゴールで鳴らしている。それが今日は鳴っていない。
「客が居なかったから、前に作ったヤツをきいてたんだ。」
そう言い、カウンターの奥にまた戻っていった。
「何の曲だろうね」
「さあ。涼さん、聞いていいですか?」
カウンターの奥から涼が「いいよ」というのを聞いて、ふたを開ける。オルゴール独特の少し寂しいような、それでいて温かい音色が流れてくる。
「この曲・・・」
「知ってるの?」
隆司の呟きをきいて千音が聞いてきた。
「ああ、まあな」
そう言いながら蒸らしが終わった紅茶をカップに注ぐ。そのついでに千音のほうのカップにも注いだ。
「何の曲?」
「さあ、そこまでは。ただ、前にここで聞かせて貰ったんだよ、これ」
「ふーん」
千音はまだに興味深そうにオルゴールの音色に耳を傾けている。
隆司にとってこの曲はただ聞かせてもらっただけですませる事の出来ないほど想い出のある曲だった。
 
 あの頃の自分はただの人形だった。いや、人形になっていた。他人の決めた事にただうなずくだけで、  何一つ自分から動こうとはしていなかった。
 それが楽だから。
 だからこそ、あのとき自分は迷ってしまった。誰にも頼れない。誰も導いてくれない。
 もし、あのとき、あの言葉を聞かなかったら、自分は―

「おーい、隆司〜」
目の前を手のひらが上下に移動している。千音の手だ。呼ばれてから気付いたがしばらくボーとしていたらしい。先ほどまでなかった千音のケーキが来ている。
「なにぼーっとしてるの?紅茶が冷めちゃうよ」
そういいながら千音は自分の分のお茶をすすっている。確かに注いでからしばらくの時間が経っている。
「そうだな」
お茶をすする。少し冷めかかっている。
「曲を聞いて、昔のことでも思いだしていたのか?」
洗い物をすませた涼が戻ってきた。
「さあ、どうでしょうね」
涼から顔を背けるようにしてカップに残っている紅茶を飲む。涼はその態度を見ながら苦笑いを浮かべる。
「なに、あの時の事って?」
一人事情が飲みこめない千音が二人の顔を交互に見ながらきょろきょろしている。
その様子を見て二人が笑い出した。それが気に入らなかったのか、千音は涼のほうにつめよって事情を聞きだそうとしている。こういった場合隆司に聞いても絶対に答えが帰ってこない事を考えての事だろう。その二人のやり取りを見ながら隆司は微かな笑みを顔に浮かべながらもう一杯ポットからお茶を注ぐ。
今この光景もあのときの言葉がなかったら自分は見ることはなかっただろう。そう思いながら。
「なあ、隆司。あのときの答えは見つかったか?」
不意に、涼から声がかかった。千音はいまだに頑張っているようで涼に質問をしている。しかし、それよりもよく隆司の耳届いた。
オルゴールは曲を鳴らし続けている。
涼の質問に隆司は答えずただ紅茶を口に含んだだけだった。
紅茶は先ほどよりは温かく、そして少し渋かった。あの日飲んだ紅茶のように。