窓から柔らかい日の光が差し込んで来る。

 田舎のマンションの二階ということもあり、初夏の田園風景が遠くまで見渡せる。

 空は五月晴れという言葉が似合うほどの晴天で太陽が頑張ってはいるがこの時期の気温は暑苦しいということはなく出かけるには絶好の天気。その上日曜日と来ているのだ。多くの人はどこか観光スポットなり近場の公園なりに散歩に繰り出すのだろう。俺もそうしたい。

 出かける相手がいるのならの話だが。

 

 

 

 バタン、という大きな音を立てて玄関のドアが閉まる音が今でも耳に残っている。それからあいつの怒った声も。

 ドアを閉めた相手は俺の恋人とでも言う相手で、つまらないことからの喧嘩で向こうが飛び出していったのがその理由だ。

 昨晩、久しぶりに俺の部屋を訪ねてきて色々と話をしていたのだ。最近では互いに都合が合わず直接会える時間は限られていた。それだけに俺も嬉しかったし向こうも、嬉しかったと思う。というかそう思っていて欲しかった。

 だけど、そんなものは最初の内だけだった。

 俺もバイトから上がってきてすぐで疲れていたからぞんざいに扱ってたところもあるけどその内あいつの機嫌が悪くなってきた。愛想が悪いだの部屋が散らかっているだの、そうこうしているうちに口喧嘩が始まって、その結果彼女は飛び出していってしまった。

 つまらないことをした、と思いながらも謝るのは何か釈然とせずこうやって部屋に閉じこもって鬱々としているのわけだ。

「日曜日。絶好の行楽日和。だというのになにやってるかな〜、俺は」

 ため息と一緒に呟く。そもそも、なにをそんなに腹を立てているのかがわからない。俺も悪いところも合ったのは認めよう。それでもあそこまで怒ることはないのではないだろうに。

 はあ〜、とため息を一つついて何か飲もうと冷蔵庫を開ける、が何も入っていない。あるのは消臭剤と、常備薬が数点。そういえば昨日ウーロン茶を飲み干して今日買いに行こうと考えていたのを思い出す。ついでに食料も。このままでは昼飯も作らない。

「あ〜、面倒だな〜。でも買いに行かなきゃな〜」

 そういってもう一つため息をついて立ち上がり出かける準備をする。といっても車の鍵を持ってズボンのポケットに財布を突っ込むくらいだが。

それからドアに鍵をかけて下に下りるとそこには彼女の自転車がチェーンロックをかけたまま放置されていた。昨夜飛び出した際にそのままにしていったのだろう。どうやって帰ったのだろうか疑問に思うところだがこの際ほおって置こう。

「この自転車、返さなきゃダメだよな、やっぱ」

 ポツリと、独り言をもらす。以前彼女は大学に自転車で通っていると言う話を聞いたことがある。ということは今日中にこれを返さないと明日あいつは困るということだ。

 手には車の鍵。目の前には彼女の自転車。この二つを比べながら俺はしばらく思案に暮れた後、ズボンのポケットに鍵をしまい込み、そして苦笑いを浮かべる。

 俺も大概お人よしだ。

 使っているチェーンロックはダイアル式のもので番号は前教えてもらったので開錠はできるから、この自転車を動かすことが俺にはできるのだ。そして彼女の家にも行ったことはある。

それに、これを口実に様子見に行くのも悪くない。

 本日の予定、買い物ついでにあいつの様子を見に行く。

 久しぶりに乗る自転車はあいつのものだからサドルが低くて運転しづらいけどあえて直さずに。のんびりとした雰囲気の風が心地よい日曜日。俺はよたよた走り始めた。

 

 

 アパートを出てすぐの農道を走る。普通のルートを通るより近道だからこっちに越してきた頃はよく使っていた道だ。辺りに見えるのは田植えを終えたばかりの田んぼが広がっている。都会からこの町にきてすぐの頃は珍しいと思っていたこの景色も二年もいれば見慣れてしまうらしい。何の感慨も感じない。が、それでも自転車で走っていると近くに水があるせいか肌寒いほど涼しく感じる。都会にいた頃に感じたむっとした暑さはほとんど感じることもなく気持ちよく走り抜ける。

 ここ二年ほどはバイトの給料を貯めて買った車で移動することが多くなったからこういうものを感じるのは新鮮だ。二年前は同じように自転車で走っていたのにそのときはこうするのが気持ちのいいものだとはぜんぜん感じなかった。目的地に向かう手段としてしか考えていなかった頃は。

今ならサイクリングを趣味としている人たちの気持ちがよくわかる。

こうやって穏やかな気持ちになれるなら、こんな趣味も悪くない。

そんなことを考えながら何時も見ているだろう彼女の視点からの景色を楽しみながら自転車を漕ぎつづける。

 

 

 

少し大きめの通りにでる。彼女の家はここから20分ほど北上して通りをわたった住宅街にある。大きめといっても実家にいたときに比べると交通量は少ない。これと同じくらいに道ならひっきりなしに車が走っていて渋滞もしていたものだが、ここではそんなに事を見かけることは少ない。朝のラッシュ時くらいなものだ。

それでも全く走っていないわけでもないのでゆっくりと歩道を走る。ただ、歩道も細いから意外と走りづらいし、歩いている人たちを避けながらだから結構神経を使う。

ちょうど人を避けたのと同時にトラックが横を通り過ぎていったバランスを崩しかけた。ぶつかったわけじゃないがいきなりなのでかなり驚いた。あいつは何時もこんな道を通って俺の家まで来るのかと思うと心配になる。

途中で事故に遭うこともなくいままで過ごせていたのはかなり幸運なことなのかもしれない。そんなことを考えながらより慎重に自転車を漕ぎ出す。

こうやって何時も彼女が通ってくる道を改めて同じ手段で通ると案外大変だということがよくわかる。普段車で彼女の家まで行ってしまうとほんの20分ほどで着いてしまうからわからなかったけど。

少しだけ、彼女の気持ちがわかった気がする。こんな苦労をしてまで俺の家まで来てくれた。それなのに俺はあんな態度をとっていたのだ。

そりゃ、誰だって腹を立てる。その上、大学以外の場所で会えたのは本当に久しぶりだったのだから。

少しだけペダルを漕ぐ足に力をこめて速度を上げる。できるだけ早くあいつに会いに行きたくなった。ごめんって素直に謝りに。それから一緒に買い物にでも出かけよう。今日は半分終わってしまったけど、まだまだ時間はあるのだから、ゆっくりと二人で楽しもう。

あとは、来週晴れてたらこうやって二人でサイクリングにでも行かないか誘ってみるか。二人でこうやってやさしい気分になれたら、どんなに気持ちのいいことだろうか。それと、これからもよろしくって言うために。