空にかかるうろこ雲がもう既に季節が秋なのだと伝えている。確かにここ最近、日向では汗ばむような陽射しを感じられるが日陰ではめっきり涼しくなってきた。
向こうではずいぶん前から涼しく感じられていたからこっちでもそうだと思っていたが、聞いてみるとこうなったのはつい最近なのだとか。
こういったギャップを感じることで俺はこの町に居なかったのだと認識される。
そう、俺は今生まれ育った町に帰ってきている。目標を、夢を追うために捨てたこの町に。
変化
「久しぶりだよな、おまえ。いままでどうしてたよ?」
「まあ、いろいろと、な」
帰郷して初めて連絡をとったのは高校のころ一番仲のよかった男友達だ。たまたま専門としようとしていた科目が同じだったから三年間同じクラスだったし、なんとなくウマもあって自然と話す機会が多かった。卒業してからずっと音信不通だった俺が急に帰ってきていると聞いたときも驚きこそすれすぐに会う約束に了解をくれたことはうれしかった。どこの大学に行ったのかは知っていたが入った後の連絡が取れなくなったから心配していてくれたらしい。
「高校卒業したらすぐに向こうに行ってその後音信不通。実家に下宿先聞いて同窓会の連絡をだしても返信はない。てっきりもう帰ってくる気がないんだとばかり思ってたんだが、そうでもなかったようだな」
「は?連絡なんてきてたのか?見てないぞ」
「おまえ、郵便ぐらいしっかりと見ろよ」
久しぶりに会ったのに昔と同じように付き合えることがうれしい。気心の知れた友人と話せるということがどれほど心が安らぐことか。向こうの大学では、うわべだけの友人しかいないからよりいっそう強く感じられる。
ゆっくりと大学に入ってから最近の近況などを話をしながら高校のころよく通った道を昔のように歩く。
大学の講義のこと。
最近はじめたバイトのこと。
大学での友人のこと。
俺はまだ休みが残っているがこっちではもう既に始まっていること。
今まで意地を張って連絡をとらなかったことはなんとなく隠しておいた。それでもこの一年間で感じられなかったぐらい充実した時間を過ごすことができた。
「あれ、ここ・・・」
昔、学校帰りによくよった雑貨屋がつぶれていた。以外と趣味のいい小物が売っていたから目覚し時計や小物入れのようなこまごまとしたものは少々値が張ってもここでそろえていた。
「ああ、そこな。半年ぐらい前につぶれたよ。まあ、前から客は少なかったけどな」
「そっか」
昔の思い出ともいえる場所がこの短い期間でなくなっていたことを寂しく、そのことを何も感じられないといったように答える友人が、なんとなく冷たく感じられた。
それから何事もなかったかのように話し掛けられ、少し戸惑いながらも話をあわせながら、通いなれていた喫茶店に向かう。
喫茶店の昔と変わることなくそこにあった。そのことをうれしく思いながら中に入る。
でも、そこには思い出と同じ空間はなかった。
あのころよく話した店員さんは辞めていたらしく、姿は見えなかったし、何よりも店の醸し出す『空気』そのものが違った。見た目では変わっていないし、言葉では言い表せない。でも確実に『なにか』が変わってしまっていた。
「ここはかわらないだろう?」
毎日少しずつわかっていったのだろう。友達の髪の毛が伸びるのとかと同じように些細な変化は毎日見ていれば逆に変化に気づきにくいも。だから、変化の過程を飛ばしてみた俺は気づけたのだろうか。それとも、ここは変わってなくて俺の中の何かが変わってしまったのだろうか。それはわからない。だけど、確実なのは俺と同じ『過去』を持っていたと思っていた人の『過去』が、違っていたと言う事実。それを思い知らされて、たとえようのない疎外感を感じた。
そのことを友人に知られないように注意しながら、話をあわせる。
「どうした、こんなところで?」
「おまえこそどうしたよ」
注文をし終えて品がくるまで待つまでの間取り留めのない会話をしながら昔と同じように、でも俺にとっては昔とは確実に違う、そんな時間を過ごしていたら急に店内にいた人に声をかけられた。俺はその人の顔に見覚えがなかったし、話し掛けた相手が友人だったことから大学の友人だと判断した。
友人が俺のことをそいつに紹介して、間で簡単な自己紹介を済ませた後はその二人だけのせかいとなった。大学内での共通の話題や、こちらの町での話題。どちらも俺の入り込む隙間のない。
ただ、二人の話をみて、聞いているだけ。
向こうにいたころと、変わらない。
時間が経ち、友人は思い出したかのように俺のほうに話題を振る。注文の品が来たころには、二人とも俺のたいしても共通の話題を探して話すようになっていたが、俺の対応は今までに比べて上辺だけのものになっていた。自覚できるくらいに、冷静に現実を受け止めることができた。
ここには、もう既に自分の居場所などないということを。
店を出ると同時に俺は二人からほかに一人で行きたいところがあるからといって別れた。共に行動したいとはもう思えなかったし、本当に一人であちこち回りたかった。
もう戻ってこないだろうこの町を記憶にとどめておくために。
あちこち回ってわかったことは、一年半という時間は人にとってもモノにとっても短いものであり、変わることにとっては十分なほどの余裕があるということだった。
つぶれてしまった店、遊具が変わってしまっている公園、建物自体変わってしまっていたところもあれば、何もなかったところに家が建っていたりした。
時間の許す限り、以前との違いを、同じところを記憶の中に留めていく。
日が傾きかけてきたのをきっかけに家に戻る。夜の帳が下りてからでは町の景観を見るのには適さないと思ったからだ。この町にはまだ二、三日滞在するつもりだし、その間予定はない。その時間をすべて費やすことができる。まだ、余裕はある。
自宅に帰り、久しぶりにあった友人とのことをしつこく聞いてくる両親をかわしながら、風呂に入り、まだ残っていた自室に戻る。
そうするともうやることは何もない。あとは寝るだけ。でも、寝るのにはまだ早い。
明日はどういった道をとおりどこを回ろうかと予定を立てているところで、不意に携帯が鳴った。正確にはマナーモードにしてあったから震えただけなのだがそれでも机の上に置いたままのそれは結構な音がする。
着信を知らせるディスプレイの写っている名前は、あいつだった。
「もしもし」
『もしもし、じゃない。帰ってきてるなら連絡ぐらいいれなさいよ』
携帯で久しぶりに聞いた声は、怒っていた。
「言ってなかったか?」
『聞いてないわよ。話し聞かなかったら電話なんかかけはしない』
多分話したのはあいつだろう。俺がこの町に戻っていることを話したのはあいつだけだ。
『まったく、あのとき以来しばらく音沙汰なしだと思っていたら、急に戻ってきて。一体どういった心境の変化かしら』
「まあ、一年も離れていたら少しくらいは気になるものさ。こんな町でも」
『こんな町ってあんた。仮にも故郷でしょ。なんか思うところがあるでしょ』
「まあ、確かに。少しはあったかもな」
『あった?』
俺の微妙な言い回しに気づいたようだ。聞き取りにくく言ったわけでもない。逆に気づいてほしいと思っていったわけでもない。気にせず通り過ぎるならそれでよし。そうでなければ隠すことでもないと思っている。もしかしたら、誰かに聞いてもらいたいのかもしれない。その辺は自分でも分からない。
『どういうこと?もう今はないってことだよね。なんか昼間も急に態度が変わったって聞くし、なんかあった?』
昼間のこともある程度は聞かされているらしい。まあ昔の間柄を知っている奴なら俺の態度の変化を不思議に思えば意見を聞きたくもなるだろう。だけどわからなかったようだ。
でも、わかるはずはない。変わってしまっているのだから。この町も。こいつも。それに、俺も。
「なに、ちょっとな。気が付いちまったんだよな」
『気づいたって、なにに』
「ここに、俺の場所はもうないんだってことに」
『はあ?!どういうことよ』
理解できていないのだろ。声の質が怪訝そうなものに変わった。声だけで相手がどんな表情をしているのかが思い出される。
「この町に帰ってくる理由はもうないんだなって、そう思っただけだ。みんな変わってしまったから」
理由は簡単。戻ってきてもやることも、懐かしむことも何もない。ただ事務的に、故郷だからといった理由で動きたくもない。そう思っただけ。すべてを棄て去ってしまっては悲しすぎるから、せめて風景だけでもと町を回っているのだ。
俺が言葉を発した瞬間、受話器の向こう側が沈黙した。その沈黙を俺は破る気はなかったのでしばらくそのままでいたら、不意に長いため息が聞こえてきて、そして
『バカ?』
あきれた声をかけられた。
『あのね、一年半経ってるのよ。変わって当然。変わらないほうが不気味よ。それなのに変わっちゃったからもう帰ってくる理由がない?バカは休み休み言いなさいよ。まったく』
反論を言う前にまくし立てられる。相手は相当ご立腹のようだ。
『町を出て行って向こうでの生活があるように、みんなにも、私にもこっちでの新しい環境と生活があるの。それを無視して何もかも変わらないで昔のままでいてくれって言うほうがわがままってモノよ』
確かに、わがままだろう。かわってほしくない。変わらないでほしいと思うことは。
でも。それでも。
この町、故郷に、『昔』のにおいを、空気を、疲れたときでも、楽しかったときでもともにあった『風』を求めてしまうのは、傲慢なのだろうか。
俺が、こういった考えを伝えると相手は何事か考えた後、こう提案してきた。
『よし決めた。明日私と付き合いなさい。変わったことが悪いことじゃないことを証明してあげる。それと、変わらないものもあるってことも』
「明日、平日だが」
『大学生には自主休講というものがあるのよ』
要するのサボるらしい。
その後、待ち合わせの時間と場所を一方的に伝えられ、絶対くるようにとくぎを刺され電話は切れた。
昔からあいつこんなに押しが強かったかと考え、不意にばかばかしく思えた。あいつはいい意味で変わっている。でも、多分本質は変わっていない。
変わることが悪いことだけじゃない。確かにそのとおりだと思う。
変わらないことが悪いわけでもない。
どちらも悪いことでも、良いことでも、そんなものは一概には決め付けられない。
だったら、答えを簡単に出してしまう必要はない。
あいつが明日見せてくれると言った、変わったことと変わらないこと。
それを見てからでも遅くはない。
この町での居場所は、まだあるかもしれない。
疲れたときに、立ち止まってしまいそうなときに、優しく背を押してくれる『風』を、昔とは違う『風』が。