花火大会

 

 

夏の夜、俺は花火を見に出かけた。

夏祭りの中でも華々しくイベント。

夜空を美しく彩り、儚く散ってゆく。

その一瞬に人々は魅せられて、毎年行われることにもかかわらずに集まり歓声をあげる。

そんな人々の例に漏れずに俺は花火大会の会場にいる。だが、

「ものすごい込み様だな」

「まあ、毎年のことだけどね」

目に写るのは人、人、人。花火が打ち上げられ始める一時間以上も前だと言うのに、既にものすごい人が集まっている。歩くことすらつらい状態なので、俺たちは隅のほうにより一息を入れていた。

「どこからこんなに人が集まってくるのやら」

「町の人が全員来てるような感じだね」

花火大会自体はそんなに有名なものではない。会場に屋台などが出ていると言っても大きな花火大会などで見られるような数でもない。それでもなぜか普段は来ないようなような近隣の住民がこの場所に集まってくる。その上この町の住人もほとんどが来ているのだからその人の数は想像を絶する。

「もう少し早く出ていればこんなことにならなかっただろうに」

俺を誘い出した友人―高坂直弥がじっとりとした目で見てくる。

「無理につれてこなければいいだろう?」

確かに渋っていたのは俺だが無理やり連れてこようせずに放って置けばよかったはずだ。

その言葉を聞いて直弥は「そうだけどさ」と言いながら少し苦笑いを浮かべた。

「祭りに独りでくるのも寂しいからね」

なら他の奴を誘え。内心そう思いながらも俺はその言葉を飲み込んだ。多分、俺を誘い出した理由はそれだけじゃない。恐らく先程の独りと言うのもうそだろう。直弥の周りがこんなイベントを見逃すはずはないし、それだけの理由で直弥が俺を誘うとは思えない。この祭りにみんなで出かけようということになって、最近引きこもりがちな俺をついでに引っ張り出そうとして、その誘い出す役を直弥が引き受けた、というわけだろう。俺の自意識過剰かもしれないし、こいつの性格を見誤っていなければの話だが。

「さて、それじゃあ急ごうか。場所がなくなっちゃうから」

そういって直弥は俺を促して、人の流れに乗った。俺もそれに続く。

場所がなくなるといっている割にはやけに目的地がはっきりとしたような足取りで流れに沿っている。もし場所を探しているのならばもっとうろうろしそうなものだ。

目的地に向かって俺たちは流れに乗りながら歩いているのだが、人の流れは一定ではない。基本的には流れに沿っていけばいいのだが、所々で屋台に無理に寄ろうとする人や逆行しようとしてくる人などこれだけの人数がいるのだから無秩序になるのは仕方がない。まあ、いいのだがそういった流れの中の滞りがあり俺はいちいちそれに巻き込まれていまいおもうように進めない。

しかし、直弥の方はすいすいと進んでいく。そんなもんだから二人の間の距離はどんどん広がっていってしまう。それに気づいて直弥は時々速度を落として俺が追いつくのを待っていてくれるのだが、いかんせん人の量が多すぎる上に、俺を直弥も平均的な身長しかないわけで、結局、

「直弥の奴、どこ行ったよ?」

はぐれてしまった。

こういったところで直弥は抜けているというかなんと言うか。

他人のことを気にしているようで気にしていない。そんな奴である。最初の独りでくるのが嫌だっていう口実すら無視する行動だ。ただ単に俺が鈍臭いだけの話だが。

こうなってしまったら流れに沿って向かっていた道すがら歩いていき、恐らくあったであろう目的地に向かうことにしたほうが得策である。乗り気でなかったのは確かだが、来てただ帰ってしまうのももったいない。

最悪、独りで花火を見るのも悪くはない。

そんなことを考えながら知った顔がいないか人の陣取っている場所をちらちらと覗き込みなが歩いていく。

歩きながら周りを観察していくと、ふと屋台に立ち寄っている人が見えた。

それは二人組みで、こういった祭りではよく見かけるカップルだった。

女の人のほうが、男のほうに何かをせがんでいて、男のほうはそれに困ったような、でも決して困っていない顔をしている。

それはどこにでもある、身近な光景。

身近にあった光景。

 

 

「ねえ、綿菓子買おうよ、綿菓子」

「買うって、それは自分で払うんだよな?もちろん」

「もちろん隆司のおごり」

「まて、何でそうなる!?」

「今日遅れてきたのは誰?」

ぐっとなっておれは次の言葉を飲み込む。確かに遅れてきたのは俺だ。それで、機嫌を損ねてしまった唯音に対して今日何かをおごると約束してしまったのだ。

何かといっただけで何をおごるとも決めていなかったので、さっきからたこ焼きに始まり、イカ焼き、りんご飴等々、すでに五、六個は奢らされている。

そして、今回も拒否権はなく奢らされてしまった。

願いかなった唯音はうれしそうに綿菓子を食べ始める。そのうれしそうな横顔を見ていれるのはうれしいのだが、いかんせん悔しいので一言「太るぞ」とだけいっておいてやった。

それに対する返答は脇腹へ手加減なしの肘鉄だった。

 

「くそ、貧乏学生にたかりやがって」

痛む脇腹を押さえながら隣ですでに食べ終えた綿菓子の代わりに、焼きそばを持っている唯音に対して愚痴る。

愚痴を聞いて、唯音のほうはその愚痴を聞いても平然とした顔で

「悪いのは隆司でしょ。それにバイトしてるんだから少なくとも私よりはお金持ちよ」

「そりゃそうだが」

自分の非は分かっているのだが、こうも容赦なく奢らされるとは。

少しは加減してくれると思っていたのだが。

「バイトしていても無いものは無い。だから次のでおごりは終わりだ。いいな?」

これ以上好き勝手されると、屋台を全部制覇しそうな勢いだ。そんなことされてはたまらない。

唯音は「りょーかい」と軽くいって焼きそばにとりかかった。すでにいろいろ食べているのにもかかわらずその勢いは留まることを知らないようだ。

「で、どこで見るかね、花火」

「んー、大丈夫、大丈夫。取っておきの場所知ってるから」

本日の最大目標、花火見物の場所をどうするかと聞いた所、唯音のほうから意外な言葉が返ってきた。てっきり迷っているのかと思っていたから俺は怪訝そうに聞き返す。

「取って置きの場所?」

「うん、取って置きの特等席」

そういう唯音の顔はとてもうれしそうだった。

追記しておくと、このときすでに焼きそばはなくなっていた。

 

あの後、結局ひとつだけでなくもうひとつカキ氷を奢らされた上に金魚掬いの代金まで払わされた上で俺たちはようやく唯音の言う「取って置きの場」とやらに向かって歩き出した。

歩き出したはいいが、俺たちの向かっている場所は花火会場とからは離れて人気の無い川の堤防の上を歩いている。

「本当にこんなほうでいいのか?」

「大丈夫だって」

先程から不安になって聞き返しているのだが、唯音は何も教えてくれない。

結局、付き従って歩いていくしかなく、唯音の履いている下駄の足音を聞きながら歩いていく。

「そういえば、聞いてなかったけど、今日の格好どう?」

思い出したように聞いてくる。

今日の唯音の格好は普段着ている服ではなく、浴衣だった。

それと同時に、普段はおろしている髪を後ろでまとめて結い上げているので、最初見たときは流石にどきりとしたものだ。

しかし、俺の遅刻によりそんなことは気にしている余裕は無く、今まで何もコメントなしという状況が続いていて、唯音も今思い出したということなのだろう。

「ん、かわいいぞ」

「もうすこしなんかあるでしょ。間をあけると、言うの戸惑うとか」

あっさり言われて唯音は不満だったようだ。

「不満か?」

わかっているのに聞き返してみると明らかに不満そうな顔で、

「うれしいけど、なんかしっくりこない」

とのこと。

どうしたものかと考えていると、不意にドンッという音とともにあたりが少しだけ明るくなった。

花火が始まったのだ。

「始まっちゃた、急ぐよ」

唯音は言うが先か俺の手を取って走り出した。

急に手を引っ張られるものだからつんのめりそうになりながら、ついていく。すると不意に音と光が大きくなった。

もともと高い建物はあまりない町だが、そこから花火が上がる方向には本当に視界を遮るものがなく、きれいに見ることができる。

さすがに取って置きというだけのことはある。

周りに人はほとんどいないところから見て地元民でも少数しか知らないのだろう。

「こんなとこがあるとは」

「いいとこでしょ」

ああ、と俺はうなずきながら土手に腰をおろす。唯音も後ろを確認しながら腰をおろした。

そこでふと気づく。

「会場行かなくてもよかったんじゃないか?」

こんな良い場所があるなら、別にあんなところに行かなくてもよかったはずである。案の定唯音は乾いた笑みを顔に貼り付けている。

「いやね、別に行かなくても良かったんだけどね、やっぱりお祭りとしてはああいうトコロに行っておかないとね、アレじゃない?ほらなんていうか・・・」

しどろもどろに弁解をはじめた。それでも俺は顔を花火のほうを向きながら横目で唯音の方をじとっと睨みつづける。

その視線に耐えかねたのか、それとも弁解のネタが尽きたのか知らないが、不意に少し真剣に唯音は聞いてきた。

「ねえ、隆司。会場の人たち、みんな楽しそうだったよね?」

「ん?ああ、まあな」

質問の意図は理解しかねたが、肯定しておく。あの会場にいる人々、みんなそれぞれ楽しそうに笑っていた。

そうじゃないのかもしれないけれど、少なくとも俺は楽しかったし、視界に入ってきた人はみんな楽しそうにしていた。

「私、ああいう雰囲気好きなんだ。みんなが無条件で笑えるようなああいう雰囲気」

だから行きたかったんだ。そういって唯音は少し苦笑いを浮かべる。

別に隠すような理由かと聞き返すと、恥ずかしかったからという答えが返ってきた。

恥ずかしいかどうかは知らないが、その意見には同意ができる。

祭り会場の、あのどことなく楽しくなるような感覚は、気持ちがいい。

あの人込みにはうんざりするが、それを差し引いても十分得るものは大きい。

「俺も好きだよ。ああいう雰囲気」

花火の光で一瞬たりとも同じ表情を見せない唯音の横顔を見ながら、俺は言った。

「ありがと」

俺の言葉をきいて、唯音はうれしそうに微笑んでくれた。

この顔を見れることを俺はうれしく思う。そしてこれからも見ていきたいとも。

「ずっと、みんながこんな風に笑えて入れたらいいのにね」

「・・・そうだな」

なんで、唯音がこんな風に言ったのかはわからなかった。だけど、それでも、そのとき俺は心の底から、みんなが、俺が、そして唯音が笑っていられたら、そんなこことを考えていた。

 

 

結局、人の流れの中に直弥たちの姿を確認できなかった。

だから俺はあの日、唯音と一緒に歩いたこの堤防の上を独りで歩いている。

人込みの中独りで見たいと思わなかったのがひとつの理由であり、理由はもう一つ。

ゆっくりと歩いて、あの日と同じ場所に到着する。

前のときよりも早く着いたのは、会場を出たのが早かったのか俺の歩調が早かったのかは知らない。

俺は、その土手に寝転ぶと花火がはじまるのを待った。

やがて花火が始まる。

ドンッ、ドンッという音とともに、あたりが一瞬明るくなる。

音とともに毎回違う光が一面を染めていく。

その光景を見ながら思い出す、あのときの言葉。

―ずっと、みんながこんな風に笑えて入れたらいいのにね

「なあ、唯音。今おまえのいる場所からこの花火は見えているか?」

小声で問い掛ける。

声は花火の音でかき消され、どこにも届くことはない。

「今おまえは・・・」

―笑っているか。

俺の発した言葉は届いただろうか。今、遠くにいる君に。

花火は上がりつづける。ドンッ、ドンッと音を立てながら夜空に花ひらいては消えていく。儚く、淋しげに・・・。